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1月の1週目の終わり、帰省していたルームメイトの美加が戻ってきて、私たちは部屋でダラダラとしながら他愛も無い話をしていた。
外は寒いし、街は遠いし、勉強以外にすることといったら本を読むかおしゃべりするくらいしかない。勉学に励むという学生の本分を考えれば、恵まれた環境ではあるのかもしれないけども、私を含めたこの歳の女子がそんなことをありがたがるはずもなかった。
話の大部分は美加が実家に帰省した際に見聞きした、主にどうでもいいこと――妹に彼氏ができてたとか、兄貴の部屋からいつもアニメの声がするとか――だったんだけど、杏子を泊めた事を話しておこうと思った私は、話が一段楽した頃合を見計らって切り出した。
「ああ、いいよ別に」
無断でベッドを借りたことを謝ると、美加はさっぱりとした口調で言った。
寮なんていう場所で過ごしていると共同生活に慣れてきて、物事を他人と共有することを気にしなくなる人が多いけれど、美加は特にそうだった。もともとそういう性格なのもあるんだろう。
ルームメイトが彼女でなかったら、杏子に美加のベッドを使わせることはしなかっただろうと思う。
「その人、杏子さん?とはどういう知り合いなの?」
美加は勉強机にひじを付いて、手に乗せた顔を窓の外からこっちへ向き直して言った。
「うーん」
どういう知り合いか、と言われると説明に困る。伏せておきたい部分があるとかそういうことじゃなくて、私と彼女を知り合いとして繋げている環境のようなものは何もないからだ。
「去年の冬休みに電車の駅で会ったんだよね」
「電車ってそこの?」
去年の、つまり高校1年生の冬、やはり寮に残っていた私は、最寄り駅を通る電車で日帰り旅行のような行動をしてみた事があった。そのとき、例の5つ先の駅で会ったのが杏子だったのだ。
「うん、そこの少し先の、なんだっけ、駅の名前忘れたけど」
「ふーん、何か印象に残る会い方だったとか?」
いや、別にそういうわけじゃなかった。杏子の口調と外見は記憶に残ったけど、ロマンチックな出会い方をしたとかそういうことではなかった。
「ほらここの電車って待ち時間長いし、待ってる人も少ないじゃん」
「んだね」
「その時待合室に私たちしかいなくて、30分くらいあったから自然に会話してたっていうか……」
この地方の冬は寒く、長い待ち時間はストーブのある待合室を使うため、自然に人との物理的な距離が近くなる。そこで会話が生まれるのは、見知らぬ他人同士でもべつに珍しい事ではなかった。
「ふーん」
美加は気のない返事をしたけど、どうでもいいという感じではなくて、まだよく分からないといったふうだった。
「どんな人なの?」
「ちょっと変わってるけど、いい人だよ」
「まあ、じゃなきゃ泊めたりしないか」
思わず、変わってる、という形容をしたことをなんとなく気が咎めたが、杏子が万人受けするタイプでないとは思っていた。もちろんそれが悪いことだという意味ではなくてだけど。
「ん、うん……」
一瞬返答する声が引っかかってしまったのを、美加は見逃さなかった。
「何かあるの?」
「え、いや」
「あるんだ」
嘘がつけない、というわけではない。もちろん得意ではないけど。
でも、このときの私は、美香に話を聞いてもらいたがってたんだと思う。杏子に告白されたことについて。
もしこれが男子に告白されたとかっていう話だと、ちょっと自慢にも聞こえそうだから話しづらいけど、女性からだったらその点は問題ないような気がした。
「告白された!?」
「好きってそういう意味で?」
美加は想像通りの反応を返してきた。同性から好きと言われたと聞けば、最初に気になるのはやっぱりそこだろう。
「うん、たぶん」
たぶん、というか、恋してとかって言葉を使ってたんだから、彼女が私をからかってるんでない限り、確かなはずだった。
「そっか、そういう人なんだ?」
そういう人、というのは同性を好きになる人、という意味だろう。
「別にすごい嫌ってわけじゃないよ?」
美加の、そういう人、のニュアンスがなんとなく好ましくないものに思えて、私は一応つけ加えた。
「あ、そうなの?ごめん」
「そういう事言われて困るって話かと思った」
まあ、普通そう思うだろう。同性に告白されたら、普通は困る人が多いだろうから。
「付き合いはしないけど」
「例の先輩がいるから?」
「うん、まあ……」
我ながら馬鹿な答えだと思う。同性は恋愛対象じゃないからっていうならともかく、付き合える可能性のない片思いの相手がいるからって、それが何の理由になるんだろう。
「ねえじゃあさ」
美加はふいに楽しそうな雰囲気を醸し出しはじめて聞いてきた。
さっぱりしててもこういうところはやっぱり女子だな、と思ったりする。もちろん嫌なわけじゃない、美加は女なんだから。
「もし香織がその先輩を好きじゃなかったらどうした?それで告白されてたら」
それは実は私も考えた。
さっき言った、付き合わない理由は、その場合は無いわけだけど、もちろんだからって杏子と付き合うとは思わなかった。
そう言うと、美加は、
「うん、でもさ、香織は好きな人がいるからって言ったんでしょ」
と言ってきた。告白されたときの話だ。
「先輩のことが好きじゃなかったら、なんて言って断った?」
「え……」
それは考えてなかった。いや、そんな仮定は実際にはないんだから当たり前だけど。
「何か断る理由ってある?嫌いなところとか」
「うーん」
少し考えてみたが、ぱっとは思いつかなかった。
「正直、まだそこまでよく知らないせいもあるけど」
「ふーん、じゃあ、好きなところはあるの?」
「それはあるよ、っていうか無ければ友達としても付き合わないし」
私から見た、杏子のいいところはたくさんある。もちろん悪いところもきっとたくさんあるだろうけど、今の付き合い方をしている限り、好きか嫌いかに分けたら好きなグループに入るのは間違いないと思う。
「ああ、まあそりゃそうだよね」
「ああー私も会ってみたいなその人!無理かな?」
美加の女子としての好奇心が全開になってる。
女子寮住まいという閉鎖的な環境のせいもあるけど、普段恋愛話のようなものをあまり――あくまで女子の基準でだけど――しない私たちなので、そういう美加が見られるのは珍しかった。
どこまで本気か分かりかねたので、
「無理じゃないとは思うけど……」
と言ったら、
「聞いてみてよ今度」
という答えが返ってきた。わりと本気のようだった。
そんなわけで、その後の週末はまたどうでもいいことを美加としゃべくりながら、宿題と3学期の準備に費やして私たちの高校2年生の冬休みは終わった。
杏子とは、翌週の日曜日に美加を連れて会うことになった。
杏子と約束した当日、待ち合わせは私たちの学校の最寄り駅ですることになった。美加の申し出を杏子は快く受け入れてくれたが、どこで会うかというのが問題になった。
結局、下手な店より落ち着いて話せるのは私たちの部屋だということになり、私と美加は日曜日の昼下がり、駅の待合室でストーブの前に座り、杏子の乗ってくるであろう電車を待っていた。
「向こうから来るんだと下りか」
「次45分でしょ?」
「えっと、うんそう。その次が15分」
このあたりの電車は適当な時間に行くと長時間待つことになる場合が多いため、必ず電車の来る時刻をチェックしてから家なり寮なりを出るのが普通だ。寮の玄関にも時刻表が貼ってある。
「45分ので来るって言ってたから」
ガララ、と古いサッシが開いて、女の子が2人入ってきた。うちの学校の生徒だろうか。あいにくと私服姿だったので分からなかった。
私も美加も高校からこっちへ来たため、地元の若い子との間にはなんとなく気持ちの上での隔たりのようなものを感じていて、少し苦手意識があった。同じ学校の子、特に寮生の人たちとはもうほとんどそんな事はなかったけど。
「ああー、ちょっと緊張してきた」
美加が両腕を抱いて震えるような仕草をしながらこっちを見た。
「別に緊張する事ないって話しやすい人だから」
そんな様子がおかしくて、私は少し笑ってしまった。不思議なもので、どうでもいい事で笑えると、その場の空気が軽くなる。もちろんそれは自分にとってだけなのかもしれないけど、それでいい。
「分かってるけど。私部活とかやってないから年上の知り合いとかあんまいなくてさー」
「まあ分かるけど、それより、私が言った事覚えててよ」
「分かってるって、ていうかそれで余計緊張してるんだよ」
美加に言ったことというのは杏子の言動などについてだった。杏子のしゃべり方はもちろんすごく丁寧なのだが、なんというか、考え方も含めて少し古風な丁寧さなので、はじめて会う人、特に私たち世代の若い人は面食らうところがあるかもしれないと思っていた。実際私もそうだったし。
だからびっくりしないでねというだけのことで、別に今から緊張していても仕方ないことなんだけど。
2人の女の子は何もしゃべらず、しばらくして立ち上がって待合室を出て行った。時計を見ると12時40分を過ぎたところ。私たちが待合室を出て行くと、向かいのホームに電車が入ってきた。
女の子2人が線路を渡ってあっちのホームへ向かう。降りる人が席を立ち、車内を歩いて出入り口に向かうのが見える。
杏子が見つけられるかと思って歩きながら車内を見ていると、下車して線路を渡ってきた数人とすれ違った。
「香織」
向かいのホームばかり見ていたら、すれ違いざま、その中の一番後ろにいた人物に声をかけられた。
「あ」
いつもの赤紫色のダウンジャケットを着た杏子がそこに立っていた。
「お待たせ」
「杏子。寒いところごめんね」
杏子は薄く笑って首を左右に振った。
「あ、これが電話で言った美加」
私が美香の両肩を後ろから掴むと、杏子ははじめましてと言って挨拶した。
「あ、はじめましてっ、香織のルームメイトの山本美加ですっ」
まだ緊張が抜けていないのか、声が少し上擦っていた。そのまま後ろから肩をもみもみすると、素っ頓狂な声を出して倒れそうになった。
おかしそうに笑っている杏子を見て、あれ、と思った。なんだろう……何かいつもと違うような。
あ、そうか、
「靴、今日はスニーカーなんだ」
杏子は冬会うときにはいつもブーツを履いていた。夏に会ったときはサンダルみたいなものを履いていて、気付かなかったけど、どっちもヒールが高かったんだろう。それが今日は雪道用のスニーカーを履いているせいで、目線が私より少し低かった。普段は同じ位の目線だったので、それで違和感があったのだ。
「ええ、ちょっとね」
杏子はそれだけ言うと、また唇を引いて笑った。
べつにそこまで気になったわけではないのだけど、合流してすぐの話題が見つからない時間にちょうど良かったため、私は続けて聞いた。
「脱ぎやすいように?」
私たちの部屋に上がる事が分かっているからかな、と思ったんだけど、
「いいえ」
杏子は首を振った。自分から答える気はないらしい。
「あ、もしかして」
私たち二人を交互に見ながら話を聞いていた美加が言いかける。
美加はわりとすぐに他人の話に入っていける方で、それでドジをする事もあるけれど、人見知り気味な私はいつもうらやましく思っていた。
「なに?」
「あ、ごめん、これ言っていい……のかな」
私も杏子もダメと言わないので、美加は自分の中でいいと判断したらしく、おそるおそるといった感じで続けた。
「あの、ほら、あれかなって。……好きな人より目線を低くしたいっていうか」
「なに言うかと思えば……」
発想力はすごいけど、深読みしすぎて迷路にはまるタイプな気がした。
が、
「あら、その通りよ」
「「えッ!?」」
杏子がしれっと言ってのけたのを聞いて、私と美加の声がきれいに重なった。
この間から、私がイメージしていたのとは違う杏子の言動を見せられて、そのギャップにドキッとする事が多かったのだが、今のはその際たるものだった。
「正確には、目線が低い方が香織に良く見てもらえる場面もあるかと思って」
「ごめんなさい、言うつもりはなかったのよ」
杏子は少し首を曲げて、早めの口調で言った。表情は分からないけど、ひょっとして恥ずかしいんだろうか。そんな気がした。もし私が杏子の立場だったら、恥ずかしくてこの場を走り去って寮に戻りたいと思うに違いないから。
「す、すいません……私が余計なこと言って」
美加が申し訳なさそうな顔で杏子に声をかけた。
「いいのよ、でもよく分かったわね」
「あはは……」
美加は背がかなり高いので、さっき言ったことを普段から実感させられていたのかもしれなかった。彼女の場合は、靴を脱げば背が低くなるわけじゃないのだから。
「あ、そういえばね、杏子」
これ以上靴と身長の話題に留まっても、いろんな意味でややこしくなりそうなので、私は話題を変えた。杏子はこっちを向いて、ん?と鼻を鳴らした。
「ごめん、最初に言うべきだったんだけど、美加に話したの、杏子が好きだって言ってくれたこと……」
「ああ」
「あ、そうなんです、それで会ってみたいって思っちゃって」
美加も慌ててつけ加えた。というか、美加は私と杏子の連絡内容を知らないのだから、その話がすでに3人に共通の話題だと認識していても味仕方なかった。
「いいのよ、隠すような話じゃないし」
仲がいい友達にそういうことを話すのは普通でしょう、と杏子は言った。
表情が読めないだけに、本心が掴みづらい杏子だけど、今言ったことはたぶん本当だった。私もあらかじめ、杏子がそういうことを気にしないタイプだと想像していたし、そうじゃなければ美加に話したりしなかっただろう。
ともあれ、杏子の帰りの電車の時間を確認し、私たちは寮に向かって駅舎を後にした。
外は寒いし、街は遠いし、勉強以外にすることといったら本を読むかおしゃべりするくらいしかない。勉学に励むという学生の本分を考えれば、恵まれた環境ではあるのかもしれないけども、私を含めたこの歳の女子がそんなことをありがたがるはずもなかった。
話の大部分は美加が実家に帰省した際に見聞きした、主にどうでもいいこと――妹に彼氏ができてたとか、兄貴の部屋からいつもアニメの声がするとか――だったんだけど、杏子を泊めた事を話しておこうと思った私は、話が一段楽した頃合を見計らって切り出した。
「ああ、いいよ別に」
無断でベッドを借りたことを謝ると、美加はさっぱりとした口調で言った。
寮なんていう場所で過ごしていると共同生活に慣れてきて、物事を他人と共有することを気にしなくなる人が多いけれど、美加は特にそうだった。もともとそういう性格なのもあるんだろう。
ルームメイトが彼女でなかったら、杏子に美加のベッドを使わせることはしなかっただろうと思う。
「その人、杏子さん?とはどういう知り合いなの?」
美加は勉強机にひじを付いて、手に乗せた顔を窓の外からこっちへ向き直して言った。
「うーん」
どういう知り合いか、と言われると説明に困る。伏せておきたい部分があるとかそういうことじゃなくて、私と彼女を知り合いとして繋げている環境のようなものは何もないからだ。
「去年の冬休みに電車の駅で会ったんだよね」
「電車ってそこの?」
去年の、つまり高校1年生の冬、やはり寮に残っていた私は、最寄り駅を通る電車で日帰り旅行のような行動をしてみた事があった。そのとき、例の5つ先の駅で会ったのが杏子だったのだ。
「うん、そこの少し先の、なんだっけ、駅の名前忘れたけど」
「ふーん、何か印象に残る会い方だったとか?」
いや、別にそういうわけじゃなかった。杏子の口調と外見は記憶に残ったけど、ロマンチックな出会い方をしたとかそういうことではなかった。
「ほらここの電車って待ち時間長いし、待ってる人も少ないじゃん」
「んだね」
「その時待合室に私たちしかいなくて、30分くらいあったから自然に会話してたっていうか……」
この地方の冬は寒く、長い待ち時間はストーブのある待合室を使うため、自然に人との物理的な距離が近くなる。そこで会話が生まれるのは、見知らぬ他人同士でもべつに珍しい事ではなかった。
「ふーん」
美加は気のない返事をしたけど、どうでもいいという感じではなくて、まだよく分からないといったふうだった。
「どんな人なの?」
「ちょっと変わってるけど、いい人だよ」
「まあ、じゃなきゃ泊めたりしないか」
思わず、変わってる、という形容をしたことをなんとなく気が咎めたが、杏子が万人受けするタイプでないとは思っていた。もちろんそれが悪いことだという意味ではなくてだけど。
「ん、うん……」
一瞬返答する声が引っかかってしまったのを、美加は見逃さなかった。
「何かあるの?」
「え、いや」
「あるんだ」
嘘がつけない、というわけではない。もちろん得意ではないけど。
でも、このときの私は、美香に話を聞いてもらいたがってたんだと思う。杏子に告白されたことについて。
もしこれが男子に告白されたとかっていう話だと、ちょっと自慢にも聞こえそうだから話しづらいけど、女性からだったらその点は問題ないような気がした。
「告白された!?」
「好きってそういう意味で?」
美加は想像通りの反応を返してきた。同性から好きと言われたと聞けば、最初に気になるのはやっぱりそこだろう。
「うん、たぶん」
たぶん、というか、恋してとかって言葉を使ってたんだから、彼女が私をからかってるんでない限り、確かなはずだった。
「そっか、そういう人なんだ?」
そういう人、というのは同性を好きになる人、という意味だろう。
「別にすごい嫌ってわけじゃないよ?」
美加の、そういう人、のニュアンスがなんとなく好ましくないものに思えて、私は一応つけ加えた。
「あ、そうなの?ごめん」
「そういう事言われて困るって話かと思った」
まあ、普通そう思うだろう。同性に告白されたら、普通は困る人が多いだろうから。
「付き合いはしないけど」
「例の先輩がいるから?」
「うん、まあ……」
我ながら馬鹿な答えだと思う。同性は恋愛対象じゃないからっていうならともかく、付き合える可能性のない片思いの相手がいるからって、それが何の理由になるんだろう。
「ねえじゃあさ」
美加はふいに楽しそうな雰囲気を醸し出しはじめて聞いてきた。
さっぱりしててもこういうところはやっぱり女子だな、と思ったりする。もちろん嫌なわけじゃない、美加は女なんだから。
「もし香織がその先輩を好きじゃなかったらどうした?それで告白されてたら」
それは実は私も考えた。
さっき言った、付き合わない理由は、その場合は無いわけだけど、もちろんだからって杏子と付き合うとは思わなかった。
そう言うと、美加は、
「うん、でもさ、香織は好きな人がいるからって言ったんでしょ」
と言ってきた。告白されたときの話だ。
「先輩のことが好きじゃなかったら、なんて言って断った?」
「え……」
それは考えてなかった。いや、そんな仮定は実際にはないんだから当たり前だけど。
「何か断る理由ってある?嫌いなところとか」
「うーん」
少し考えてみたが、ぱっとは思いつかなかった。
「正直、まだそこまでよく知らないせいもあるけど」
「ふーん、じゃあ、好きなところはあるの?」
「それはあるよ、っていうか無ければ友達としても付き合わないし」
私から見た、杏子のいいところはたくさんある。もちろん悪いところもきっとたくさんあるだろうけど、今の付き合い方をしている限り、好きか嫌いかに分けたら好きなグループに入るのは間違いないと思う。
「ああ、まあそりゃそうだよね」
「ああー私も会ってみたいなその人!無理かな?」
美加の女子としての好奇心が全開になってる。
女子寮住まいという閉鎖的な環境のせいもあるけど、普段恋愛話のようなものをあまり――あくまで女子の基準でだけど――しない私たちなので、そういう美加が見られるのは珍しかった。
どこまで本気か分かりかねたので、
「無理じゃないとは思うけど……」
と言ったら、
「聞いてみてよ今度」
という答えが返ってきた。わりと本気のようだった。
そんなわけで、その後の週末はまたどうでもいいことを美加としゃべくりながら、宿題と3学期の準備に費やして私たちの高校2年生の冬休みは終わった。
杏子とは、翌週の日曜日に美加を連れて会うことになった。
杏子と約束した当日、待ち合わせは私たちの学校の最寄り駅ですることになった。美加の申し出を杏子は快く受け入れてくれたが、どこで会うかというのが問題になった。
結局、下手な店より落ち着いて話せるのは私たちの部屋だということになり、私と美加は日曜日の昼下がり、駅の待合室でストーブの前に座り、杏子の乗ってくるであろう電車を待っていた。
「向こうから来るんだと下りか」
「次45分でしょ?」
「えっと、うんそう。その次が15分」
このあたりの電車は適当な時間に行くと長時間待つことになる場合が多いため、必ず電車の来る時刻をチェックしてから家なり寮なりを出るのが普通だ。寮の玄関にも時刻表が貼ってある。
「45分ので来るって言ってたから」
ガララ、と古いサッシが開いて、女の子が2人入ってきた。うちの学校の生徒だろうか。あいにくと私服姿だったので分からなかった。
私も美加も高校からこっちへ来たため、地元の若い子との間にはなんとなく気持ちの上での隔たりのようなものを感じていて、少し苦手意識があった。同じ学校の子、特に寮生の人たちとはもうほとんどそんな事はなかったけど。
「ああー、ちょっと緊張してきた」
美加が両腕を抱いて震えるような仕草をしながらこっちを見た。
「別に緊張する事ないって話しやすい人だから」
そんな様子がおかしくて、私は少し笑ってしまった。不思議なもので、どうでもいい事で笑えると、その場の空気が軽くなる。もちろんそれは自分にとってだけなのかもしれないけど、それでいい。
「分かってるけど。私部活とかやってないから年上の知り合いとかあんまいなくてさー」
「まあ分かるけど、それより、私が言った事覚えててよ」
「分かってるって、ていうかそれで余計緊張してるんだよ」
美加に言ったことというのは杏子の言動などについてだった。杏子のしゃべり方はもちろんすごく丁寧なのだが、なんというか、考え方も含めて少し古風な丁寧さなので、はじめて会う人、特に私たち世代の若い人は面食らうところがあるかもしれないと思っていた。実際私もそうだったし。
だからびっくりしないでねというだけのことで、別に今から緊張していても仕方ないことなんだけど。
2人の女の子は何もしゃべらず、しばらくして立ち上がって待合室を出て行った。時計を見ると12時40分を過ぎたところ。私たちが待合室を出て行くと、向かいのホームに電車が入ってきた。
女の子2人が線路を渡ってあっちのホームへ向かう。降りる人が席を立ち、車内を歩いて出入り口に向かうのが見える。
杏子が見つけられるかと思って歩きながら車内を見ていると、下車して線路を渡ってきた数人とすれ違った。
「香織」
向かいのホームばかり見ていたら、すれ違いざま、その中の一番後ろにいた人物に声をかけられた。
「あ」
いつもの赤紫色のダウンジャケットを着た杏子がそこに立っていた。
「お待たせ」
「杏子。寒いところごめんね」
杏子は薄く笑って首を左右に振った。
「あ、これが電話で言った美加」
私が美香の両肩を後ろから掴むと、杏子ははじめましてと言って挨拶した。
「あ、はじめましてっ、香織のルームメイトの山本美加ですっ」
まだ緊張が抜けていないのか、声が少し上擦っていた。そのまま後ろから肩をもみもみすると、素っ頓狂な声を出して倒れそうになった。
おかしそうに笑っている杏子を見て、あれ、と思った。なんだろう……何かいつもと違うような。
あ、そうか、
「靴、今日はスニーカーなんだ」
杏子は冬会うときにはいつもブーツを履いていた。夏に会ったときはサンダルみたいなものを履いていて、気付かなかったけど、どっちもヒールが高かったんだろう。それが今日は雪道用のスニーカーを履いているせいで、目線が私より少し低かった。普段は同じ位の目線だったので、それで違和感があったのだ。
「ええ、ちょっとね」
杏子はそれだけ言うと、また唇を引いて笑った。
べつにそこまで気になったわけではないのだけど、合流してすぐの話題が見つからない時間にちょうど良かったため、私は続けて聞いた。
「脱ぎやすいように?」
私たちの部屋に上がる事が分かっているからかな、と思ったんだけど、
「いいえ」
杏子は首を振った。自分から答える気はないらしい。
「あ、もしかして」
私たち二人を交互に見ながら話を聞いていた美加が言いかける。
美加はわりとすぐに他人の話に入っていける方で、それでドジをする事もあるけれど、人見知り気味な私はいつもうらやましく思っていた。
「なに?」
「あ、ごめん、これ言っていい……のかな」
私も杏子もダメと言わないので、美加は自分の中でいいと判断したらしく、おそるおそるといった感じで続けた。
「あの、ほら、あれかなって。……好きな人より目線を低くしたいっていうか」
「なに言うかと思えば……」
発想力はすごいけど、深読みしすぎて迷路にはまるタイプな気がした。
が、
「あら、その通りよ」
「「えッ!?」」
杏子がしれっと言ってのけたのを聞いて、私と美加の声がきれいに重なった。
この間から、私がイメージしていたのとは違う杏子の言動を見せられて、そのギャップにドキッとする事が多かったのだが、今のはその際たるものだった。
「正確には、目線が低い方が香織に良く見てもらえる場面もあるかと思って」
「ごめんなさい、言うつもりはなかったのよ」
杏子は少し首を曲げて、早めの口調で言った。表情は分からないけど、ひょっとして恥ずかしいんだろうか。そんな気がした。もし私が杏子の立場だったら、恥ずかしくてこの場を走り去って寮に戻りたいと思うに違いないから。
「す、すいません……私が余計なこと言って」
美加が申し訳なさそうな顔で杏子に声をかけた。
「いいのよ、でもよく分かったわね」
「あはは……」
美加は背がかなり高いので、さっき言ったことを普段から実感させられていたのかもしれなかった。彼女の場合は、靴を脱げば背が低くなるわけじゃないのだから。
「あ、そういえばね、杏子」
これ以上靴と身長の話題に留まっても、いろんな意味でややこしくなりそうなので、私は話題を変えた。杏子はこっちを向いて、ん?と鼻を鳴らした。
「ごめん、最初に言うべきだったんだけど、美加に話したの、杏子が好きだって言ってくれたこと……」
「ああ」
「あ、そうなんです、それで会ってみたいって思っちゃって」
美加も慌ててつけ加えた。というか、美加は私と杏子の連絡内容を知らないのだから、その話がすでに3人に共通の話題だと認識していても味仕方なかった。
「いいのよ、隠すような話じゃないし」
仲がいい友達にそういうことを話すのは普通でしょう、と杏子は言った。
表情が読めないだけに、本心が掴みづらい杏子だけど、今言ったことはたぶん本当だった。私もあらかじめ、杏子がそういうことを気にしないタイプだと想像していたし、そうじゃなければ美加に話したりしなかっただろう。
ともあれ、杏子の帰りの電車の時間を確認し、私たちは寮に向かって駅舎を後にした。
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