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 エターナルバンド――それは永遠の契り。

 グリダニアの森に囲まれた厳かな式典会場で、今日も一組のカップルが式を挙げていた。

「おめでとう!」

「おめでとー!!」

「お幸せにね」

「野郎、爆発しろぉ!」

「アンナー!おめでとうー!」

 広大なエオルゼアの大地を駆け巡っていた中で、偶然出会い、共に過ごし、愛を育んできた二人の新しい出発。そんな二人を家族が、同僚が、友人たちが取り囲み、祝福の言葉をかける。

「みんな、どうもありがとう!」

 新婦となったヒューランの女性が、目に溜まった涙を拭いながら、その一人一人にお礼を述べた。

 新郎となったヒューランの男性は、その半歩後ろに控え、常に新婦を見守っている。

「それでは、新郎新婦の退場です。皆様どうぞ、今一度盛大な拍手を!」

――パチパチパチパチ

――パチパチパチパチ

 そして、割れるような拍手が起こり、それに混じって口笛やクラッカーまでもが一度に鳴らされる。

 新婦は赤くなった目を擦りながら、もう片方の手を新郎に引かれて、ゆっくりと参列者の間を歩いていく。

「アンナ!泣きすぎー!」

 新婦の友人であろう、利発そうな女ララフェルが茶々をいれる。すると新郎新婦を挟んだ両側から、どっと笑いが巻き起こった。冒険者仲間の式典だから、礼節よりもノリである。面白ければ笑い、幸せそうな二人にはちょっかいをかける。それが彼らなりのやり方なのだ。

「ミンティぃぃ…っ。あとで…ひくっ……おぼえてらさいよ…っ」

 そんな友人をじろりと睨みつける新婦。しかしその顔は、幸せに満ちていた。

 いつもの仲間内では、勝気で男勝りな性格で通っていたアンナ。そんな彼女が美しいドレス姿で、しおらしく夫となる人に手を引かれ、赤い絨毯の上を歩いていく。その光景は破壊力抜群だった。男女を問わず、彼女の友人たちで未婚の者は皆、頭の中で、いつか来るのであろう、自身のエターナルバンドの日を思い描いているようにも見えた。

 さて、そんなエターナルバンド。エオルゼアでの慣例では、当日あるいは前日の夜、参列者にはグリダニアに宿が用意されることが多い。もちろん現在では、エーテライトによる瞬間移動が可能。たとえ式が深夜に終わったとしても、参列者が各々の住処に戻ることは容易い。だからこれは、まだエーテライトによる移動方法が確立していなかった頃の風習の名残として、そしてまた、式典のサービスの一環として、参列者に提供された。

 新婦アンナの友人の一人であるミスリィは、あてがわれた宿の部屋のベッドの上に寝転がり、天井を見上げていた。

「ふう……」

 式が終わったのは夜の早い時間だったにもかかわらず、まだ式典用のドレスを脱いでいない。彼女もまた、先の式でのアンナの幸せそうな姿に胸を炙られた女性の一人だった。

「はぁ……」

 式が終わってから、鐘の音が2つか3つ鳴る間、ずっとこの通りだった。食べるでもなければ休むでもない、別の部屋にいる友人と話をするでもない。天井を見上げる瞳の奥に映るのは、式典での友人の幸せそうな笑顔だった。ベッドの上をけだるそうに転がると、ドレスの裾が脚にまとわりついた。

「よいしょ、っと……」

 そして何度目かの、その日最後の鐘の音が鳴る頃になって、ようやくミスリィはベッドから立ち上がった。そのまま真っ直ぐにバスルームへ行って、ドレスを脱ぎ捨てた。浴室の扉が閉められ、すぐにシャワーの水音が聞こえてくる。部屋にほんのりと湯気が漏れ出し始めた頃、石鹸の香りに包まれたミスリィの足が、バスルームに敷かれたマットを踏んだ。

 寝巻きを兼ねた普段着に着替え、彼女は部屋を出た。馬鹿騒ぎに疲れて、すでに就寝した者が多いのか、建物は静かだった。部屋のすぐ外に置かれていた、台車に乗ったソーサーの蓋を開けてみる。グリルされた鶏肉と、ドレッシングのかかったサラダだった。ニンニクの香ばしい匂いに、ミスリィの鼻がヒクリと動く。下の段にはワインの小瓶とグラスもあった。ミスリィはそれらを見て少し目を細めると、ソーサーの蓋を被せなおす。そして彼女は宿のホールを抜けて、建物の外に出た。

「ん……んんーっ!!」

 上を向いて思い切り伸びをすると、肺の中に森の匂いのする空気が流れ込む。夜の風が火照った体と心を鎮めてくれる。ミスリィはそんな気がした。

 周りを見渡すと、立ち並ぶ宿や家からは灯りが消え、森が黒いシルエットになって町を覆っている。その上には、エオルゼア名物の、満天の星空が輝いていた。

「はぁっ!」

 思い切り吸い込んだ息を、彼女は大きく強く吐き出した。シャワーを浴びて、おいしそうな料理を見た。そのおかげで、頭の中を占めていたエタバンのことは、深呼吸と共に抜けていくように感じられた。

(少し歩こう)

 ミスリィは思った。身体の中の空気を、全部入れ替える。肺だけでなく、血管の中の、細胞の中の酸素を、夜の綺麗な酸素に入れ替える。狩猟民族であるミコッテの身体が、それをリアルなイメージとして彼女の脳に伝える。身体の中が綺麗になったなら、それから夕食を食べ、少し酒でも飲めばぐっすり眠れるだろう。そう考えると、ミスリィはなんだか楽しくなってきた。

 なめし革のサンダルに包まれた足が、軽快に地面を蹴る。足音はまったくしない。星空を眺め、木々が夜風に揺らされざわめくのを聞きながら、家々の間を縫うように歩いた。さほど時間もかからずに、ミスリィは宿の裏手まで戻ってきた。

(ふう……)

 僅かばかりの疲労感に、身体と心がほぐされる。ミスリィは、食欲や睡眠欲といった基本的な欲求が、再び正しく働き始めたのを感じていた。そのまま、宿の裏側を回って玄関に戻ろうと、しなやかな身のこなしで歩いていく。

 客室のほとんどは、灯りが落とされていた。窓から灯りが漏れているのは、2階にあるミスリィの部屋と1階の隅にある一部屋だけだ。彼女はなんとはなしに、その部屋の方を見た。宿は男女で別れるのが普通だから、泊まっているのはほとんどがアンナの友人のはず。彼女はただ、まだ起きている者が居るのなら、軽く食事に付き合ってもらおうと、そう思っただけだったのだ。

 しかし……

「!?」

 ちょうどその部屋の前を通ったとき、ミスリィは鼻と喉から音もなく空気を吐き出した。そして思わず立ち止まった。部屋のカーテンは半分ほど開いていて、しかも運悪く、部屋の主は着替えの最中だった。さらにまずかったのは、ミスリィがそれを見たところを、部屋の主からも見られたことだった。

(まずい……やっちゃった……)

 相手もミコッテの女性だった。それも知らない顔の。よりによって、新郎の友人女性の部屋を覗いてしまったらしい。ミコッテは動体視力にも優れている。相手からも十分、ミスリィの顔が認識できたはずだった。

 どうしたものかと考えた。知人ならまだしも、見知らぬ相手では謝りに行くこともためらわれる。

(いや、でも)

(謝っておくべきだよね……)

 カーテンを開けっ放しにしておくのは見過ごせない点ではあった。冒険者として、女性として、用心に欠ける。自業自得であるとも思えた。

 それでも、窓の外から着替えを覗かれるというのは、不快を通り越して恐怖さえ感じるだろう。まして深夜、これから眠ろうというときであれば尚更だ。不審者ではないということを、一言伝えたかった。

 ミスリィは玄関を入ると、1階の廊下に向かった。目星をつけた部屋のドアの前に立って、耳を澄ます。部屋の中からは、初め何の音も聞こえなかった。

――コト……

 しかしすぐ後で、ガラスか陶器を固い物の上に置くような、そんな音がした。ミスリィは深呼吸をしてから、ドアを小さくノックした。

 小さすぎたか、と彼女が心配する間もなく、ギィ……と床がきしむ音がした。

 ベッドから誰かが立ち上がったようだった。二呼吸ほど置いて、ドアが内側に開かれた。中から現れたのはやはり、今しがた見たミコッテだった。

「ごめん、夜遅くに」

 相手は同い年くらいだろうか。暗がりで膨らんだ瞳孔が、ミスリィをじっと見た。窓に掛けられたカーテンは、まだ開いていた。

「今、部屋の前を通りかかって……その、中を……」

 ミスリィがそう言うと、部屋の主は一瞬驚いたような表情を見せ、それから控えめに微笑んだ。

「ああ、気にしないで。……まさか人が通るとは思わなかったから」

 頭の動きと共に、軽く左右に振られた髪から、ミスリィと同じ石鹸の匂いが香る。そのことが伝える、同じ宿に泊まっているという当たり前の事実。

「本当にごめん」

「……びっくりさせたでしょ」

 グリダニアはレンジャーたちに守られた、比較的安全な街である。しかし周りには蛮族も居るし、悪い人間だって居る。ミスリィは目の前の彼女が、もっとそのことを警戒しているものと思っていたのだが、そうでもないようだった。

「一瞬ね」

 部屋の主は、ミスリィの頭部を見るように少し視線を上げた。その表情は怯えるどころか、むしろ楽しそうにも見えた。

「でも髪型で、エタバンの会場に居た人だってすぐ分かったから」

「え?」

 ミスリィは思わず聞き返した。

 あの一瞬で、窓の外の人間の髪型まで把握できていた彼女の能力にも驚いた。しかしそれ以上にミスリィを驚かせたのは、エタバンの会場に居た人、という言葉だった。少なくとも2、30人はいた参列者の中から、一人の人間の髪型を覚えているものだろうか、と。

「ああごめんね」

「ただちょっと、見かけたのを覚えてただけだから」

 ミスリィが微かに浮かべた怪訝な表情に気づいたのか、部屋の主は少し慌てたようにそう言った。いずれにしても、着替えを覗いてしまったことを咎められることはなさそうだと、彼女は思った。

 時間も遅いし、長居をするつもりもない。目的を果たしたミスリィが、挨拶を切り出そうと思ったときだった。

「あ、ねえ」

 部屋の主の声が、ミスリィより僅かに早く、小さく、しかしはっきりと響いた。

「この後って、すぐ寝るの?」

 誰でも聞けばすぐにそれと分かる、何かの誘いを前提にした聞き方だった。こんな時間から、何だというのだろうか。

 こうなると、ミスリィは悩まされた。部屋に戻ってもすぐに寝ることはないだろう。体も内蔵も、ちょうどほぐれたところだった。食事をして、少し飲む。昼間でいうところの鐘の音1つ分くらいは起きているに違いない。

 そう、彼女は考えた。

「よかったら、少し一緒に飲まない?」

 ミスリィの沈黙を良い方に捉えたのか、部屋の主はそう続けた。あるいは、用件まで伝えた上で、ミスリィに判断させるつもりだったのかもしれない。彼女の瞳の中で、ランプの灯りが、目の前のミコッテの耳飾りにチカリと反射していた。

 普段なら、初対面の冒険者同士、酒場やレストランでの相席はあっても、部屋飲みはしない。それは彼女に限ったことではなく、様々な種族、人間のタイプが混在し、場合によっては利害を対立させることとなる、冒険者の世界にあってはごく普通のことだ。

 その例外に置かれるのが、親しい友人の知人、という間柄である。今夜のような、友人のエタバン相手の友人、というのはそのいい例だった。そのため、エタバン相手とは友人のエターナルセレモニーで知り合った、というカップルも多い。

 だからこそミスリィは、そこまで強く警戒することなく、部屋の主の誘いを受けることにしたのだった。

「私の髪型ってそんなに目立つ?」

 フランと名乗った同席相手は、ミスリィの言葉に首を振った。

 その柔らかい表情と、話しやすい雰囲気は、夜、一緒にテーブルに着く相手としては申し分なかった。酒が入っていたこともあり、二人は他愛のない話に花を咲かせていた。

「目立つっていうと言葉が悪いから。似合ってる」

 ミスリィの髪は女性にしては短く、ヒューランでいうと耳の位置を隠す程度のショートヘアだった。手入れが楽で冒険にはいいのだが、女性らしさに欠けるかも、というのが彼女の密かな悩みだったりもした。

「確かドレスだったでしょ?会場で」

「うん?」

 エオルゼアでは、服装による男女の別はあまりない。特に、男性用の服はほとんどが女性用にリメイクされるため、女性の装いは自由度が高い。そのため、式典等の場における女性の正装は、ドレスとは限らないのである。

「髪型もだけど、全体の雰囲気が、こう……」

 そこでフランは一度言葉を切ると、にこりと笑ってミスリィを見た。それからゆっくりとワイングラスに口をつける。

「こう、何?」

 ミスリィは口をややへの字に曲げ、目を半分ほど閉じる。じろり、とした半目でフランの視線の向きを追う。フランの視線は一度、ワイングラスから窓の外へ飛び、再びミスリィに戻された。

「こう、上品さと活発さがマッチしてて、可愛くもかっこよくも見える感じ?」

「な、なにそれ」

 大げさにも聞こえるフランの褒め口上に、ミスリィは酒で上気した顔をさらに赤くした。フランはそれを見て、こみ上げる笑いを声ではなく表情に映した。

「話して分かったでしょ、少なくとも上品ではないから」

 ミスリィは明らかに困惑して、視線をフラフラとあちこちに飛ばしながらそう言った。

「え?うん……」

フランは楽しそうに微笑んだまま、テーブルにグラスを戻す。

「でも、わざわざ謝りに来てくれて……」

「ますます素敵に見えてきちゃったかも……?」

――ブフッ

 ミスリィは危うく、ワインを噴出しそうになった。間一髪で、利き手で口元を覆う。

「な、なんなのよ。何か企んでるの?」

 ミスリィの表情が、照れ隠しのそれから疑惑を含んだものに変わる。同性同士とはいえ、初対面の相手から歯が浮くような褒め言葉を投げかけられれば、それもまた冒険者として当然の反応といえた。

 フランはそんなミスリィの思考をすばやく察知した。

「ごめんごめん。照れてるミスリィさんが可愛くて、つい」

 そう言いながら、ミスリィの空いたグラスにワインを注ぐ。白ワインが、ランプの灯りの下で揺らめく。それはちょうど、フランの髪のような色だった。

「あぁ、……ありがと」

 フランはワインボトルをテーブルに置くと、思い出したように、耳に着けていた耳飾りを外し始めた。

「それ、イベントの時のだっけ?」

 フランの耳を飾っていたのは、桜の花を模った耳飾りだった。人気の品で、最近はどこの町でもこれを着けたミコッテを見かける。

「うん、付けっぱなしだったの忘れてた」

 フランは頭を少し傾けたまま、ミスリィを見た。両手を耳に添えながら、ふと気づいたように言った。

「もしかして、ミスリィさん持ってない?これ」

 フランが両耳から外した耳飾りを、彼女の前のテーブルに置いた。桜の花を模ったそれは、春先に錬金術ギルドが、各冒険者ギルドに配布していたものだ。材料と人手が余ったため、という理由で製造されたそれは、錬金術ギルドの技術によって高い完成度を誇っていた。

 1組100ギルと、かなり安価で配られたものの出来が良く、非常に軽い。特に、耳の動きを妨げず、見た目が可愛らしいという理由から女ミコッテに人気が高かった。今では、高価な貴金属を使わず、付加効果もないアクセサリとしては、異例といえるほどのプレミアがついている。

「うーん、ちょっと体調崩しててね」

 その当時、ミスリィは連日の徹夜で体調を崩し、1週間近く寝込んでいた。やっと体が回復した頃に生焼けの肉を食べたために腹を下し、さらに数日間ベッドに臥していた。おかげで冒険資金が底を尽き、その後しばらくは近所の食堂で、皿を洗って過ごしたのだった。

「私の人生で、間違いなく最悪の期間だったわ」

 それを聞くフランの目元は気の毒そうな表情を浮かべているにもかかわらず、口元からは笑みが絶えなかった。話していて心地がいい。一晩といわず、これからも友人でいたい。ミスリィはそう思い始めていた。

「そうだ、ちょっと待ってね」

 彼女はそう言って、自分の荷物の中から小さなポーチを取り出して開いた。女性ならば種族や職業を問わず、誰もが持っているような大きさのもので、ミスリィにも大体それがなんだか分かった。

 フランはその中から、手のひらに収まるほどの小さな布袋を取り出して、テーブルの上に置いた。

「これ、よかったら使わない?」

「え?」

 ミスリィはフランに目で促され、その袋を手に取った。中から出てきたのは、フランの前に置いてあるのと同じ、桜の花の耳飾りの一組だった。

「これ……」

 他人の耳を飾っているのはよく見かけたが、間近で見るのは初めてだった。聞いていた通りで、それはとても軽く、非常に丁寧な仕事がされていた。ミスリィは手のひらの上に置いて、角度を変えて眺めた。

「それ、本当は一人一つなのよ」

 フランが言った。

 配布中から予想を上回る人気だったため、途中から一人につき一つまでという制限が掛かったと、ミスリィは聞いていた。それでも結局、錬金術ギルドの想定したよりもずっと早く品切れになったらしい。

「初めのうちは無制限だったから、何も考えずに2つ買っちゃったんだけど」

「本当なら、まだ持ってない人の分なのよ」

 それを聞いたミスリィは、苦笑いを浮かべた。そして眺めていた耳飾りを、布袋に戻してからテーブルに置いた。

「でも、もらえないよ」

 配布終了後、初期に複数購入した者による転売が横行した。配布時の100倍近い価格で取引されるに至り、錬金術ギルドは転売をやめるよう訴えていた。しかし、それを欲しがる人がいて、余分を持っている人がいる。金が物をいう冒険者の世界において、やはり難しい話であった。

「ほんと、ここまで高くなっちゃうとね」

 フランは残っていたワインを飲み干して、空いたグラスをテーブルに置いた。彼女が白い指でグラスの縁をこすると、微かな音色がミスリィの耳にも届いた。

「だけど高値で取引されるのは、錬金術の人たちが意図したことじゃないわけだし」

 ヒーン、ヒーン、と音色を奏でながら、フランの指がグラスの縁の上を行き来する。

「もし仮にそうでも、そのお金は錬金術ギルドにいくはずで、あたしがもらうものじゃない」

 その指の動きを追いかけていたミスリィが、はっとしたようにフランの顔を見る。フランがグラスから指を放し、ミスリィに向かってにんまりと、意味ありげに笑った。

「だからほら。あたしの着替えを覗いた罰よ」

 そう言って、布袋をミスリィの方へ滑らせた。勢い余ってテーブルから滑り落ちそうになるそれを、ミスリィは慌てて受け止めた。

「ば、罰になってないよ」

 再びその手に戻ってきた布袋。ミスリィはその感触を確かめるように、指先で軽く撫でた。

「そう?」

 そう言いながら、フランは満足そうに微笑んでいる。そして両手を椅子の上について、身体を前に乗り出した。

「じゃあどっちかね。黙ってそれをもらうか、それとも」

「それとも……?」

 ミスリィが聞き返すと、フランは目を細めた。鈍く緑色に光る輝板。その真ん中の縦長の瞳孔が膨らみ、ミスリィの瞳をじっと見つめる。

「ミスリィさんに一目惚れのあたしと、酔った勢いでいろいろやっちゃう?」

――ブボッ

 ミスリィは今度こそ、口に残っていたワインを噴出していた。慌てて口を押さえた指の間から霧のように舞った飛沫が、ランプの灯りに白く輝いた。

 エオルゼアの南西、ラノシア地方に位置するリムサ・ロミンサ。海と空の青、雲と石畳の白、2色のコントラストが美しい都市である。もっとも、夕暮れ時を過ぎ、雲と石の白は、空と海の群青に染まりつつあった。

 ミスリィはエーテライト・プラザに降り立つと、下甲板の表通りに出た。週末というせいもあり、多くの冒険者や漁師たちが行き交い、聞き分けが不可能なくらいに雑多な声が、右から左、左から右と飛び交う。

 そんな中、ミスリィは夜の色のスーツに身を包み、すばやい身のこなしで甲板を歩いていく。

(私、絶対浮いてる……)

 ウルダハ住まいの彼女が、なぜこんな格好でこんな場所に来ることになったのか。事の発端は10日ほど前まで遡る。

***

 先週の半ばのある日、時刻は午後2つ目の鐘が鳴った頃。ミスリィはあるパーティ募集を見つけた。それは某ダンジョン行きのもので、彼女はそこで依頼品を調達しようと、1週間ほどパーティを探していたのだった。

 しかしマイナーなダンジョンであるせいか、パーティ募集は少なく、このままでは依頼の期限に遅刻することになってしまう。そんな時にちょうど立てられた募集に、ミスリィは飛びついた。なんとか無事にパーティに参加することができ、ミスリィは急いで準備をしてダンジョンの入り口へ向かった。

「よろしくお願いします」

「よろしくね」

「よろしくね、久しぶり」

「よろしくでっす!」

 集まったメンバーが口々に挨拶を交わす。ミスリィはさりげなく、メンバーの装備を確認していた。それぞれ、手には布の手袋をはめ、腰には籠やポーチをつけている。ちょうど良いパーティに入れたようだ。彼女は念のため、自身の目的をリーダーに告げておく。

「オーケー、皆採集目的だから」

 それを聞いて、ミスリィはほっと息をつく。他にパーティがなかったのだから、仮に戦闘目的のパーティだったとしても、採集をさせてもらうつもりではいた。ただし、その場合は採集時間が限られるだろうし、周りへの配慮も必要だ。全員が同じ目的であった方が、トラブルが起こりにくいことは言うまでもない。

 ミスリィはベルトに差し込んであった採集用の手袋を両手にはめ、ランタンに火を入れた。メンバー全員の準備が整ってから、一行はリーダーを先頭にダンジョンの中へ入っていった。

 入って少し歩いたころで、ミスリィは横から小さな声で名前を呼ばれた。

「ミスリィさん」

「え?」

 入り口から差し込む明かりが、まだうっすらと辺りを照らしていた。ミスリィが隣を見ると、見知った顔の女ミコッテが居た。後ろ髪はミスリィと同じくらいに短く、眉の下までの前髪。両サイドの髪は顎の左右で、それぞれ纏められている。

「フランさんっ?」

 アンナのエタバン会場で知り合い、耳飾りを借りてから――結局、無期限で借りるという形になっていた――ミスリィは彼女とは、しばらく会っていなかった。

「よかった」

 フランは遠慮がちに笑う。人懐こい彼女でも、時間の経過が人と人の間に作る壁を、まったく意識しないことはできないようだ。

「忘れられたかと思った」

「いや、忘れるわけ――」

 そのとき、リーダーが後ろを向いて、立てた人差し指を口に当てた。そしてもう片方の手で、洞窟の前方の壁を指差した。天井の隅に、大人ほどもある黒い大きな蜘蛛が何匹かへばりついていた。4人でかかればそれほど手ごわいモンスターではないが、採集目的のパーティではできるだけ戦闘を避けるのが基本だ。4人は息を潜めて、蜘蛛の下を通り抜けた。

 道なりにしばらく歩いていくと、やがて前方に水溜りのある広い空間が見えてきた。進むにつれて、天井や足元がごつごつした岩から、滑らかな石灰岩に変化してくる。

「足元、気をつけて」

 リーダーが後ろを振り返り、指示を出す。

 床は水気を含み、ツルツルとした石灰の表面は非常に滑りやすい。石灰分を含む水が天井から滴っているせいである。それが長い年月をかけてつららのような柱を形成し、天井と床の間を繋いでいた。壁や天井は、石灰分を好む苔が生しており、いたるところに白くて小さなきのこが生えていた。このきのこは独特の風味で、料理や気付け薬に使われるが、栽培できないために比較的高価なのだ。

「よし、ここで」

 リーダーは背負っていた大型のランタンに火を入れると、広場の入り口近くの岩の上に設置した。完全な闇だった広場の全体に、おぼろげながら光の粒子が行き渡る。

「じゃあ、しばらくは各々採集」

 彼は手を軽く上げてそう言った。

「次の鐘が鳴る時間になったら、またここに集合だ」

 メンバーそれぞれが頷いて、広場の奥へ向かう。ヒューランの目なら、10歩ほども離れると姿はほとんど見えなくなり、ランタンの灯りのみがゆらゆらと動いている。そんな程度の暗さであった。ミスリィとフランは、お互いにどちらからともなく近づいた。

「偶然だね」

 ミスリィが声を抑え気味にして言うと、フランは微笑を浮かべて頷いた。

「この後時間ある?ご飯でも行かない?」

「オッケー、行こう」

 フランの小声での提案を、ミスリィは二つ返事で受け入れた。

 本来こうしたパーティでは、知り合い同士であっても私語はご法度である。4人しかいないメンバーのうち、2人が関係ない話を始めてしまったら、残る2人は居心地が悪い。メンバー間の意思疎通にも悪影響を与えるし、ひいてはメンバー全員を危険に晒すことにもなりかねないからだ。

 それが分かっていたからこそ、二人はそれきりで口を閉じた。ミスリィが、立てた親指の先で広場の奥を指すと、フランも黙って頷いた。

(思ったより採られてる……)

 しゃがみこみ、採集を始めたミスリィは思った。

 白いきのこは辺りにたくさん生えてはいるが、採集できる大きさのものが少ない。小さいものは効能が劣り、天然資源を守るという点からも、採集しないのがルールとされていた。依頼された量を時間内に確保できるかどうか、ぎりぎりのラインだった。

 そんな状況にもかかわらず、ミスリィは自分の頬が自然に緩むのを感じていた。そしてその度、口元を結びなおした。フランとはしばらく会っていなかったにもかかわらず、それをほとんど意識せずに自然に話せた。むしろ距離感が縮んだ気がして、ミスリィはそれがなんとなく嬉しかった。

(まあ、公募パーティで偶然会えればね……)

 冒険者なら誰でも、一般募集のパーティに加わるときには緊張するもの。それは目指すダンジョンの難易度には関係ない。自分以外の見知らぬ3名のメンバーと共に行動することに対してだ。場合によっては、心無い言葉を掛けられたり、黙って帰ってしまう人も居る。そんな中、メンバーの1人に見知った顔があること。その安心感もまた、冒険者なら誰もが共感できるものに違いない。

 ミスリィは考えながら、少し離れたところで採集しているフランの姿をチラリと見た。

 それから、ミスリィは無心になってきのこを掘った。不思議なもので、単純作業というものは、人にほかの事を忘れさせる。ここは何処なのか、誰と一緒に来たのか、自分は何をしているのかといったことまで、一時的に頭から抜け落ちてしまうことさえある。

 鐘の音1つという時間はあっという間に過ぎて、メンバーは広場の入り口に集合していた。ミスリィも何とか、必要な量のきのこをポーチの中に集めることができた。

「皆いるな」

 リーダーは火を消した大ランタンを再び背に背負い、それぞれの顔を確認していく。

「それじゃ戻ろう、洞窟を出るまで気を抜かないように」

 彼の言葉に各々が頷き、洞窟の中を一列になって進んだ。しばらく行くと、足元が安定してきた。ツルツルした石灰岩の床が、普通の岩床に変わったのだ。キュ…キュ…という、濡れた岩に吸い付く靴裏の音も聞こえなくなる。歩きやすくなった道をくねくねと進み、入り口に近づいてきた。

 さらにしばらくすると、リーダーが右手を上げて止まり、天井を指差した。行きに見たのと同じところに、まだ蜘蛛が張り付いていた。前から3番目にいたミスリィは、念のため注意を促そうと後ろを振り返った。

「!?」

 そこには誰もいなかった。さっきまで確かに後ろにいたはずの、フランの姿がなかったのだ。

「フランさんがいない!」

「えっ」

「何だって?」

 ミスリィが言うと、前にいた2人が振り返った。そしてミスリィの元に歩み寄る。洞窟の奥を見ても、3人以外に人のいる気配はない。

「どこまで着いてきていたか分かるか?」

 リーダーが聞いた。ミスリィが洞窟の床を見る。石灰岩の床を抜けるまでは、確かに後ろにいたはずだった。あそこまでは、足音が聞こえていたからだ。しかし道がよくなってからはそれが聞こえなかった。柔らかい皮の靴を履いたミコッテの足は、歩くときに音をたてない。だから聞こえていたのは前を歩く2人の足音だけで、それ自体は不思議でもなんでもなかったのだ。

「おかしいな……」

 ミスリィの話を聞いて、リーダーはあごに手を当てて考え始めた。

 どうしてもっと早く気づかなかったのか。一切の音も立てずに姿が見えなくなる。そんな状況は、普通では考えられなかった。転んだり穴に落ちたりすれば、相応の音がするはずだった。

「私、見てくる」

 こうしている間にも、フランが危険に曝されているかもしれない。そう考えると、ミスリィは居ても立ってもいられなかった。

 そう言って、洞窟の奥へ歩き出そうとする。

「待て」

 しかし、それをリーダーが制した。彼はミスリィの手首を掴んで引き止めた。彼女が無理やりに引き剥がそうとしても、その太い腕はびくともしない。暗闇の中で膨らんだミスリィの瞳孔が、リーダーの顔を睨みつける。しかし、彼はそれに怯まず、2人の視線がぶつかり合った。

「全員で行こう。……単独行動はするな」

 彼は少しだけ表情を緩めてそう言うと、掴んでいた手を離す。ミスリィは掴まれていた手首をさすりながら、顔を逸らした。リーダーの主張は正しい。洞窟など、迷いやすい場所での単独行動は、各グランドカンパニーにおいても原則禁止事項とされていた。

「……ごめん」

「いや」

 一行はリーダーを先頭に、来た道を引き返し始めた。リーダーのすぐ後ろにミスリィが続き、その後ろにもう一人のララフェルが続いた。3人がそれぞれ、腕を伸ばしてランタンをかざす。死角となる暗闇を、できるだけ作らないためだ。

「念のため、前の人のベルトを掴め」

 こういうときにいちばん恐ろしいのは、一人、また一人と行方が分からなくなっていくことだ。そうなると残された人間もパニックに陥り、普通なら迷うはずのない道で迷ってしまうこともある。

 3人は数珠のように繋がって、もと来た道を、洞窟の奥へと戻っていった。

「何か見えたら教えてくれ」

 リーダーがミスリィに向かって言った。夜目が利くミコッテの能力を期待したからだった。しかし、夜行性の動物の”夜目が利く”とは、僅かな明かりでものを見ることができる能力である。洞窟の奥、一切の光が届かない真っ暗闇の中に、ものを見ることはできない。

 そのような状況で何かを”見る”ことができるとすれば、蝙蝠やヘビのように、音や匂いを頼るしか方法はない。

 だからもし、フランが明かりになるものを持っていなかったら。つまり、何らかの理由でそれを失ってしまっていたとしたら。彼女は真っ暗闇の中に1人で取り残されていることになる。ミスリィはそれを考えると、胸が締め付けられる思いだった。

(フラン……ッ!!)

 入り口と広場の中間地点まで戻ってきたが、フランの姿は見当たらなかった。ミスリィは、耳をしきりに動かして周囲の音を拾い、ランタンの明りが届く範囲にくまなく目を凝らした。

「大丈夫だ。そんなに深い分かれ道はないと聞いてる」

 リーダーの声が前から聞こえてくる。それは自分自身と、メンバーに言い聞かせるようにも聞こえる口調だった。ミスリィ自身、この洞窟には何度か来たことがあった。入ってすぐに分かれ道があり、戦闘目的と採集目的のパーティは普通そこで分かれる。それ以外には、分かれ道を見たことがなかった。

 そのとき、ミスリィの耳に微かな音が聞こえた。

「っ!」

 急に立ち止まったミスリィに、リーダーはベルトを引かれる形になり、後ろのララフェルがミスリィにぶつかった。

「どうした?」

「しっ」

 ミスリィが洞窟の奥に耳を向ける。微かな声が聞こえるような気がするが、過敏になっているだけかもしれない。それでもミスリィは自分の耳を信じて、リーダーに代わって先頭に立って歩き始めた。

 奥に向かって進むに従って、声は少しずつ、はっきりしてくるようだ。

――……っ……ぃ……

(聞こえた……ッ!!)

 今度こそ、ミスリィの耳ははっきりとそれを捉えた。水音や風のうなりのような、自然現象が起こす音ではない。人の声だと確信する。

――………り…ぃ……

「あぁ!!」

 途切れ途切れに聞こえてくるその声は、自分の名前を呼んでいるのだ。そうミスリィの脳が判断したのと同時に、彼女の足は岩床を蹴って走り出していた。

「おい…っ!」

 後ろからリーダーが声を上げて制するが、ミスリィは止まらなかった。ランタンの灯りと、自分の名を呼ぶ微かな声を頼りに、彼女は走った。リーダーたちとミスリィとの距離が、あっという間にひらく。光が届かない暗闇に残るのは、僅かに乱れた空気の動きと彼女の汗の匂いだけだった。

――……みす…り…ぃ……っ

 いまや、ミスリィの耳には、フランの声がはっきりと聞こえていた。しかしその姿は見当たらない。ミスリィは立ち止まった。

 声がする場所は近いように感じられるものの、その聞こえ方は通常とは違っていた。間に、空気以外の何かがある。岩を一枚隔てた向こうから聞こえてくるようだった。

「フラン、どこっ!?」

 ミスリィはたまらなくなって声を上げる。ランタンを掲げて辺りを見回しても、分かれ道のようなものはない。岩壁はしっかりしていて、亀裂が走っているような場所も見られなかった。

――ミスリ…ィ…っ

「どこ、どこに居るのっ!?」

 ミスリィの顔は不安に歪み、姿の見えない友人に問いかける。切羽詰ったような声は、フランも同じだった。

――たぶん、道がっ――やッ

「フラン!フラン!!」

 何か起こっている。何かに襲われている。ミスリィは金切り声を上げて、フランの声が聞こえてくる岩壁を叩く。

「フランてば!フランッ!!」

 当然、重く頑丈な壁はびくともしない。ミスリィが壁を叩いていることさえ、フランの居る側には伝わっていないだろう。

「おい、落ち着け!」

 そこへ、リーダーたちが追いついてきた。彼は片腕で、ミスリィを壁から引き剥がす。後ろのララフェルが汗を拭きながら、ランタンの明かりで地図のような紙片を確認していた。

「ここだ」

 彼は2人にも見えるように紙片を水平に持ち、ランタンで照らした。小さな指が、その一点を指し示す。リーダーはそれを見て頷いた。

 

「奥だな。分かれ道に気づかなかったんだ」

 ミスリィはそれを聞くと、すぐさま駆け出した。知らないうちに、目には涙が滲んでいた。

「左側だ!走ってちゃ分からないぞ!」

 ミスリィの後ろから、リーダーの声が聞こえてくる。それでも、走らずにはいられなかった。彼らの足音が、再び遠ざかっていく。

「よく見るから…ッ」

 ミスリィは地形が許す限りの、全速力で駆けた。不安定な岩床をものともせず、腕から尻尾までがしなやかなカーブを描く。やがて、聞こえてくるフランの声質が変わった。間にあった岩壁がなくなったのだ。

 声のする方角を頼りに、ミスリィが左側を見る。分かりにくいが、確かにそこに、もう1本の道があった。入り口に向かって、鋭角なY字形になっている。フランは間違えて、この道に入り込んだに違いなかった。

――ミ……リィ…

「はぁ…はぁ……。こっちだ、間違いない」

 何があるのか分からない。ミスリィは慎重に、できるだけ早足で進んだ。先ほど声が聞こえた場所を考えると、フランは分岐点からかなり進んだところに居るようだ。

(フラン……!無事で居て……!!)

 道は狭い上に曲がりくねっていて、ランタンの明りが前方に届かない。視界が狭く限られることに不気味さを感じながらも、ミスリィは躊躇うことなく前へ進んだ。

 そして、大きなカーブを抜けたところで、

「ミスリ……っ」

 フランの肉声が聞こえた。

 近い。間違いなく、この先に居る。ミスリィは小走りになり、右へ左へと曲がる壁に手をつきながら進んだ。

 その声に混じり、ハァ…ハァ…という、自分自身の荒い呼吸が聞こえてくる。走りにくい地形の上を夢中で進んできたためか、額や首筋は汗でぐっしょりと濡れていた。

 そのとき、前方に微かな明りが見えた。フランの持っているランタンだろう。ミスリィは念のために戦闘態勢を取り、それでもスピードは緩めずに突き進む。

「フランっ!」

 平坦な岩床の上に、ランタンが横になって落ちていた。その灯りで、辺りが照らされている。ミスリィはその周辺に視線を走らせた。

「ミスリィ……ッ!たすけ…っ」

 さらに少し奥で、人間の大人ほどの大きさの、黒い物体がモゾモゾと蠢いていた。ミスリィは腰を低くしながら、ランタンを掲げてそれを照らした。

「ミスリィ……!!」

 その黒い物体が声を発する。

「…っ!!」

 それは蝙蝠の群れだった。たくさんの蝙蝠が集まって、フランの身体に張り付き、覆い隠すほどになっているのだ。

「大丈夫よっ!!」

 ミスリィはフランの腕に取り付いていた蝙蝠を引き剥がす。その小さな口から、赤い飛沫が舞い散った。

(吸血蝙蝠だ……!!)

 エオルゼア各地の、古い洞窟に生息する蝙蝠だった。静かで暗い場所を好むため、人の通るルートでは見られない。身体は小さいが獰猛で、生き物の生き血を吸う。

「ミスリ…っ! 死んじゃう…ッ!!」

 フランがミスリィに向かって、蝙蝠の群がった右腕を伸ばす。

「大丈夫!!死なないってば!!」

 蝙蝠は、その見た目の印象に比べて身体はずっと小さい。一匹あたりの吸血量は微々たるもので、大人であれば大事には至らない。人間の場合は装備によって牙を立てられる箇所が限られるため、なおさらだ。

 しかし、暗闇の中で、羽音と不気味な声を響かせながら身体に張り付かれるのは恐ろしいものである。大量の固体に取り囲まれると戦意を喪失し、失神してしまう冒険者も居る。

(そうだ!きのこを……っ!)

 ミスリィはランタンのケースを開けると、その炎を布切れに移して松明にした。蝙蝠がきのこの匂いを嫌うという話を思い出したのだ。腰のポーチからいちばん大きなきのこを取り出すと、松明の炎でそれを炙る。依頼品だということなど頭から抜け落ちていた。

 彼女はおそるおそる、それをフランの身体に近づけていった。

――キィ…ッ

 異変に気づいた蝙蝠たちが、親指の先ほどの頭をもたげる。豚に似た、顔のわりに大きな鼻をひくつかせた。

――キッ…キィッ…キィッ

 そして、フランの身体に群がっていた蝙蝠たちが、1匹また1匹と、剥がれ落ちるように飛び立つ。フラフラと、まるで酔っ払いのように飛びながら、次々と洞窟の奥へと消えていく。

 黒い塊だったものが、女ミコッテの姿に戻っていく。そのうち、引っかくような声と、空気を切る羽音はすっかり聞こえなくなっていた。

 フランの身体はあちこち汚れ、噛まれた場所からは血が流れているものの、大きなダメージはなさそうだった。ただ、その目からは大粒の涙が溢れ、汚れた頬を流れ落ちた。

「ミスリ…ィっ…」

 おぼつかない足取りで、ミスリィに歩み寄ろうとするフラン。ミスリィはその身体を抱き支えた。

「フランっ」

 お互いの身体に回される腕に力がこもる。

 ミスリィの瞳を濡らしていた涙も、緊張がピークを越えてから解けたせいか、ついに許容量を超えて溢れ落ちる。

「怖かったよ…ぉ…っ! ここで死んじゃうかと思っ…ひぐ…っ」

「大丈夫……。もう大丈夫だから」

 自分にしがみつき、肩を震わせるフランの背中を、ミスリィがゆっくりとさする。そんな彼女自身の身体も、やはり小さく震えていた。

「二人とも!大丈夫か!」

 足音と共に、リーダーがその場に駆け込んできた。地図を見ていたララフェルも、その後ろから心配そうに顔を覗かせる。ミスリィはフランを抱きかかえたまま、黙って頷いた。

「大丈夫。……ありがとう」

 ミスリィはそう言って笑顔を見せた。その顔はフランに負けず汚れていて、涙の流れた部分をいっそう目立たせた。

 ララフェルがそれを見て両手を挙げる。リーダーも、安堵したように肩をすくませた。

***

 それから、4人は無事に洞窟を脱出した。

 ミスリィは友人を最寄りの診療所まで連れて行き、フランはそこで診療を受けた。蝙蝠の噛み跡を消毒され、軟膏を縫って包帯をされて、数日間の安静を言い渡された。

 当然、その日の食事の約束は果たされず、もちろんミスリィも、それをまったく気にしていなかった。フランが無事だっただけで嬉しかったし、彼女が早く元気になることを、何より望んでいた。

 そして翌週の週末。つまり今日、お礼を兼ねて約束の埋め合わせをしたいというフランの申し出に、こうしてリムサ・ロミンサまで、正装でやってきたのである。

(なんでドレスコードのある店なのよぉ……)

 そこしか空いていなかったとフランは言っていたが、本当なのかどうか分からない。

 そもそも冒険者たるもの、堅い服装には慣れていない者が多い。ミスリィもまさにそうだった。しかもディナータイム前、まだ働いている者も多い中、スーツで街角に立っているのは気まずい。待ち合わせに遅れないようにと、余裕を持って出てきたことが裏目に出る結果となった。

 エターナルバンドのようにそれらしい場所で、皆が同じような格好で待っているのならまだいい。彼女は思った。ごく普通の生活空間で、自分だけが浮かれた格好をしている今の状況は、死ぬほど恥ずかしい。ミスリィは落ち着かない様子で、しょぼりと耳を下げて立ち尽くしていた。

「ごめん、お待たせっ」

 しかしそんな思いも、心待ちにしていた声を聞いた瞬間に消え去った。ミスリィが顔を上げると、そこにフランが立っていた。薄いブルーのドレスが涼やかで、リムサの夜によく合っていた。

「遅い」

 ミスリィがぶすりと言うと、フランは笑ってミスリィの手を取った。

「ごめんてば」

 一週間ぶりに見るフランの笑顔。ミスリィは、もうずいぶん長い間それを見ていなかったような気がした。今日を含めてもまだ3回しか会っていないのに、ずっと前から知り合いだったように感じられる。不思議な気持ちだった。さりげなく手を取られたことも、別に気にならなかった。

 フランが予約していた店は、形式に拘るだけあって料理はおいしかった。何よりミスリィが感心したのは、その量だ。

 ウルダハ住まいのミスリィにとって、料理の量は多すぎるのが常だった。クイックサンドなどはその典型だ。おいしいのは間違いないのだが、とにかく量が多い。いくら冒険者がよく食べるとはいっても、長身のエレゼンや巨体のルガディンと、小柄なミコッテの皿に同じ量が盛られることには、いつも疑問を感じていたのである。

 この店では少なくとも、ララフェル、ミコッテとそれ以外で皿の大きさが違い、各種族に程よい量が提供されていた。

「そうでしょ?」

 ミスリィがそう感想を述べると、フランは満足げに頷いた。白い指に掴まれていたワイングラスが、シンプルなテーブルクロスの上に置かれる。彼女の目が、ミスリィの耳をチラリと見た。

「それ、似合ってる」

 ミスリィが着けていたのは、フランから借りている桜の花の耳飾りだった。ショートヘアとスーツ姿という直線的なシルエットに、ピンクの花が柔らかな印象を添えている。ミスリィはそう言われて、少し恥ずかしそうに耳に手を触れた。

「ありがと……」

 フランはテーブルに両肘をついて、その上に顎を乗せる。ぴくりと動いた彼女の耳にも、同じ耳飾りがあった。

「よかった。ミスリィさんに使ってもらえて」

 そう言って、にこりと微笑む。ミスリィはグラスの底に少しだけ残っていたワインを喉に流し込んだ。

「さん、もういいよ」

 彼女がそう言ったのは、照れ隠しに話題を変えたかったせいでもあった。しかしそれだけではなかった。先日のダンジョンでお互いを呼び合ったときの心地よい安心感が、耳と頭に燻っていたせいだった。

「そう?」

 ミスリィの言葉に応じて、にんまりと笑ったフラン。その目が少し細められ、緑色の輝板が鈍く光る。その表情に、ミスリィは見覚えがあった。

「じゃあ、ミスリィ?」

 ドクン、と、ミスリィの鼓動が、フランの声に乱される。顔が熱いのは、ワインのせいではないことは分かっていた。ムズムズ、ウズウズするような感覚が、彼女の尻尾の付け根の当たりから湧き起こる。しかしミスリィは、それにはあえて気づかない振りをした。

「なぁに、フラン」

 フランが発したような、僅かに挑発的な口調を真似て、そう言った。できる限り平静を装って。

 そして、二人の視線が絡み合う。2対の瞳は、まるで糸に繋がれているかのようにお互いから視線を逸らさなかった。その距離が、少しずつ近づいていくように、ミスリィには感じられた。

「……!?」

 目の前の、緑色の瞳に吸い込まれそう。ミスリィがそう思っていたとき、柔らかいものが唇に押し付けられるのを感じた。フランもミスリィも、目を開いたままだった。

 お互いが、唇だけでなく、鼻先も、額も、前に突き出したところを、相手の同じところに擦り付けようとする。

――チュパッ

 そんな音を残して、フランの顎が引かれた。辺りをうかがうように、彼女の耳が僅かに動いた。

「……フラン」

 そして今度は、ミスリィの顎が、フランに向かって突き出される。薄いオレンジ色の唇同士が、再び重なる。

「ミスリ……っ」

 照明が暗めに設定された店内で、窓際の隅に座った二人の行為を見ているものは居なかった。しかし、そんなことを気にする時間もないくらいに、二人のキスは突然に始まり、そして長い間続いた。

 リムサ・ロミンサからほど近い、ミスト・ヴィレッジの片隅にある1軒の家。

 フランが所属しているギルドの所有するギルドハウス、海辺のモーグリ邸である。Sサイズながらも立地条件は良好で、日当たりがよく、海がよく見える。それでいて、少し奥まったところにあるために隠れ家的な安心感があり、人気の区画であった。

 ミスリィは初めて立ち入るミスト・ヴィレッジの家々を眺めながら、フランの後に続いて歩いてきた。

「本当にいいの?……こういうの」

 家の前まで来てミスリィが聞くと、フランはやや呆れたような顔をして振り返った。

「いいんだってば。あたしだって一部屋分のお金払ってるんだから」

 自分の部屋に友人も誘えなくて、なにが家か。というフランの主張はもっともだった。とはいえ、ミスリィの気がかりは、フラン以外のギルドメンバーが居ないときに、その家に上がりこむことに対してであった。

 夕食後、店を出たところで、フランはミスリィを部屋に誘った。外は心地よい風が吹く、外出日和だ。それでも、こんな時間から他ギルドの家に邪魔するわけにはいかない。ミスリィは断ったが、そこはフランの計算ずくであった。

 フランのギルドメンバーは、現在難関ダンジョンを鋭意攻略中であり、週末の夜にはメンバー全員が出払うことも珍しくなかった。今週末の夜、ギルドハウスには自分しか居ない。フランはそれを確かめた上で、ミスリィを誘ったのだった。

 

「ミスリィなら、誰か居なきゃ友達は誘えないって思う?」

 そう言われると、ミスリィは返す言葉がなかった。他のメンバーが居ないということが、友人を自室に上げない理由にはならない。むしろ、相手が気兼ねしなくて済むように、そんな機会を利用するかもしれない。その時、友人がそれを気にして遠慮しすぎることは、自分ならあまり好ましく思わないだろう。

「分かった」

 ミスリィが頷くと、フランはにこりと笑って敷地の中に入る。リムサの街と同じ白い壁の家の前に立ち、ミスリィに向かって手招きをした。

「ほら」

 それから、フランは玄関の鍵を開け、ロビーの灯りをつけてミスリィを通した。

 ミスリィは、家の中をぐるりと見回した。落ち着いた雰囲気の壁紙に、中央にはテーブルセットやソファが置かれている。棚や家具の上には、アイテムや装備品が、インテリアの変わりに並べられていた。照明は壁紙と合うような明るさに調節されている。

 居間兼応接室という感じなのだろう。ギルドメンバーと来客の双方が寛げるように配慮されていた。

「こういうの、今行ってるダンジョンで出るみたい」

 フランは飾られた装備品を片手で示しながら、ロビーの奥へ進む。ミスリィはそれらを目で追いかけてはいたが、視線の行き着く先は前を歩く友人の後姿だった。

「フランは行かないの?」

 その背中を見ながら、ミスリィは思っていたことを口にした。髪と同じ色の、フランの尻尾が揺れている。それは歩行に併せて生じる揺れではなく、フランが――意識的にか無意識的にかは分からないが――自ら動かしている。そういう揺れ方だった。

 フランはすぐには答えずに、ロビーの奥に続く廊下を歩いていく。廊下の奥の天井に設置された照明が、白い髪に反射していた。そうして突き当りまで行って、彼女がミスリィを振り返る。

「あたしは……大事な約束があったから」

 フランはそれだけ言うと、廊下の海側にあるドアを開けた。店に居たときに感じた鼓動の高鳴りが、静かな家の中で再びミスリィを焚きつける。ウズウズと、尻尾が勝手に揺れ動き始める。顔に熱を感じながらフランの横顔を盗み見ると、彼女の頬も同じように、うっすらと赤みがさしていた。

「どうぞ」

 フランが少し腰を折って、もったいぶった口調で友人を招き入れる。ミスリィは敷居の外から部屋を見渡した。

「ありがとう」

 何か気の利いた言葉で言い返したかったが、頭の中に何も浮かんでこなかった。ありきたりな言葉を返して、部屋に入る。

 あの晩彼女の部屋で最初に嗅いだのは、同じ石鹸の香りだった。ミスリィは思い出す。

「座ってて、飲み物もってくるから」

 フランはそう言ってドアを閉めた。ミスリィは部屋の中を眺めながら、窓辺にあるテーブルの前まで歩いていった。椅子に座り、窓の外を見る。庭の生垣の隙間から、ミスト・ヴィレッジの家々の灯りが垣間見える。その上に広がるのは、あの夜と同じ、満天の星空だった。

 フランに初めて会った夜。たまたま着替えを覗き、一緒に飲んだ。まだ数か月しかたっていないのに、ずいぶん昔のことのように感じられる。あのときは新郎新婦の友人で、性別が同じだったから、同じ宿に泊まっていた。ただそれだけの関係で、それきり会うことはないと思っていた。

 今の自分があのときの自分に、目の前の女ミコッテが数か月後に、自分の中でどういう存在になっているのか。話して聞かせたところできっと信じはしないだろう。

「おまたせ」

 フランが戻ってきて、お盆に載せたグラスを2つ、テーブルの上に置いた。彼女はお盆をドアの脇にある小棚の上に置き、ドアの鍵をかけた。カチリ、という音が、ミスリィの耳にもはっきりと聞こえた。

「きれいな色」

 グラスに入った、薄い紅色の液体。匂いからして、ハーブティーのようだった。フランはドレスの裾を揃えてミスリィの向かいに座ると、グラスを手に取った。

「そう?」

 そう言って、ごくりと小さく喉を鳴らしてお茶を飲む。海岸に波が打ち寄せる音が、遠くに聞こえた。

「ミスリィの方がきれいだけど?」

 それからミスリィの方を見たときの、フランのその瞳は、いつもの緑色の輝きを放っていた。

「……フラン。酔ってないよね」

 自分の瞳は、相手の瞳を写す。相手が目が笑っていれば自分の目も笑っているのだし、相手の目が脅えていれば、それは自分も相手を恐れているときである。つまり、フランの瞳は、ミスリィ自身の瞳を写したものなのだ。少し怪しく緑色に光り、その真ん中の黒い瞳孔は、相手を捉えて離さない。

「1杯だけだよ?もう抜けてる」

 2人の瞳がそれぞれ、お互いの瞳を見つめる。そうしてその視線は、決して逸らされることはなかった。夕食を食べた店の中でそうだったように、どちらからともなく、二人の顔が近づいていく。ミスリィが気づいたときには、お互いの唇はしっかりと重なり、相手の唇に吸い付いていた。

――チュッ

「ミスリ……ん……は、ぁ…ッ」

 フランの切なそうな声に名前を呼ばれるたびに、ミスリィの興奮は高まっていく。ゾクゾク、ピリリという刺激を手足の先に感じながら、夢中になって相手の唇を吸い、下顎の周りを骨に沿って舐める。

「フラ、ン……ちゅ……んっ」

 腰から下がぬるま湯に浸かったように温かく感じられる。ミスリィは、体中の力が抜けていくのを感じていた。直接相手に触れているのは、舌と唇だけ。にもかかわらず、ミスリィの全身の肌は粟立ち、尻尾の毛が逆立った。

――チュパ…チュ

「あ…ぁ……フラ、ン…ッ」

 ミスリィもまた、ほとんど無意識のうちにフランの名前を呼んでいた。唇が開けば相手の名を呼んで、そしてまた相手の唇で自分の唇を塞がれる。お互いに、何度も何度もそれを繰り返した。

 静かな店の中では、お互い相手の名前を呼ぶことには遠慮があった。キスだけならまだしも、声を出せば注目を集めかねない。2人ともその程度の常識や羞恥心は持ち合わせていたからだ。その鬱憤を晴らすかのように、2人は名前を呼び合った。

「ミスリ…ィ……っ」

――チュ…チュッ

 お互いが、その鼻先を、額を、頬を、相手に擦り付ける。そして唇同士を押し付け、吸い合う。

「フラン……あ、ぁ、フラ…ン…ッ」

 星降るミスト・ヴィレッジの奥。静かなSサイズ区画に建った、一軒のギルドハウス。その一室で、ミスリィとフランの二人が愛情を確かめ合う行為は、夜更けまで続いていた。

***

 冒険者たちの生活スタイルは様々だ。朝早く夜も早い者、反対に夜遅く朝も遅い者。特に週末は時間の融通が利きやすいため、それぞれの傾向がより顕著になる。早朝には、早く起きてきた者、まだ寝ていない者、両者が顔を合わせることも珍しくない。

 しかし、そんな週末の早朝のミスト・ヴィレッジにあって、海辺のモーグリ邸に住まうギルドメンバーたちは、一部を除いて全員が後者であった。もう少し正確に言えば、昨晩のダンジョン攻略から戻ってきて、ベッドに入らずそのまま起きている者が数人、庭先で朝方までしゃべり通していたのである。

「とにかく、これで割と安定するんじゃないか?」

 ナイトと思しき男ヒューランが言った。下半身はいまだ甲冑姿のままで、上半身はTシャツのみというアンバランスな格好だった。芝の上に座った残りのメンバーのうち、セーラーシャツ姿のララフェルが頷いた。

「周回も視野に入ってきたな」

 昨晩のダンジョン攻略は、彼らにとっては成功といえた。いままでは外部の協力者に助っ人を頼んでいたが、はじめてギルド単体での攻略目処が立ったのである。

「あとは物資面じゃない?平日から意識してさ」

 帽子をとったローブ姿の女ヒューランも頷いてそう言った。高難易度ダンジョンのギルド単体での攻略は、多くのギルドが目標とするところだ。収入面でも非常に有利になるし、ギルドやメンバーの知名度も上がる。いわば冒険者としての成功を意味するのだから、彼らが興奮のあまり、寝ずに話を続けていたのも無理はない。

「アイシャ、お前どこ行ってたんだ?」

 そこへ、すらりとした体躯の女エレゼンが戻ってきた。普段着の上からエプロンを着け、片手で箒を持っていた。

「庭の掃除よ。……それより」

「なんだよ」

 落ち着かない様子の彼女の長身を、座ったままのメンバーが見上げた。リーダー格のナイトが先を促すと、アイシャと呼ばれた彼女はチラリと後ろを振り返った。

「いま、フランの部屋のカーテンが開けっ放しだったんだけど」

 それを聞いたナイトの男は、そんなことかと言わんばかりに唇を鳴らした。アイシャがそれを見て、眉間にしわを寄せる。

「いつものことだろ、ほっとけ」

「あいつ、外に男が居てもあのまま着替えてるからな」

 男ナイトとララフェルは、カーテン開け放し常習犯のフランのことより、とにかくダンジョンの攻略に夢中のようだった。

「……彼女のベッドに知らない女が寝てるのよ」

 それを聞いた男ナイトとララフェルの顔が再びアイシャに向けられる。ヒューランとミコッテの女子勢は、やれやれといった感じで肩をすくめた。

「で、フランは?」

 それまで黙っていた女ミコッテがそう聞いた。アイシャは彼女の方を見ると、言うべきかどうか迷ったような仕草を見せたものの、すぐに口を開いた。

「フランも寝てる」

 男ナイトとララフェルが、ゆっくりと顔を見合わせる。二人の顔が一気にニヤけたかと思うと、勢いよく立ち上がり、アイシャの両脇を抜けてフランの部屋の窓の外へと直行した。

「ちょっ!コラ!待ちなさい!」

 アイシャが慌ててその後を追う。後に残されたヒューランとミコッテも、顔を見合わせてから立ち上がった。彼女たちの表情も、やはりある種の期待を含んでいた。

「うっわ、マジだ……」

「やべえ……いいなアレ……」

 ララフェルを肩車した男ナイトが、カーテンと窓枠の隙間からフランの部屋を覗く。走りながらその陣形を作ってしまうところは、二人が冒険者として確かな身体能力を持ち合わせていることを物語っている。

「やめなさい!何考えてんの!!」

 無駄に優れた2人の連携能力に呆れながら、アイシャが二人を窓から引き剥がそうと努力する。しかしララフェルはともかく、重量のある男ナイトをどかすには、彼女では力不足のようだった。

――シュワワッ

 そのとき、ローブの女ヒューランが放った呪文の効果が、窓辺に張り付く2人の男を包み込んだ。

「ちょうどいいから、もう眠ってもらいましょ」

「なぁ…ッ!?」

「おまっ……この…っ」

「おーやすみぃ!」

 女ミコッテが二人の後ろに立ち、腕を回してアイシャにも合図する。その場で二人が倒れて怪我をしないように、後ろから支えようというのだ。

 ほぼ普段着で魔法抵抗もなく、加えて徹夜明けである。2人の男はあっけなく呪文にかかり、その場に崩れ落ちた。

「ベッドまで運ぶのは無理だね」

「ここでいいでしょ、毛布でも掛けとこう」

 女ミコッテは居間に常備されている毛布を取ってきて、並んで眠っている2人に掛けてやる。一見乱暴なようだが、仲間を気遣い思いやる優しさが感じられた。ギルドメンバー同士の繋がりを何より重視するこのギルドにあって、メンバーはお互いに家族のような存在だった。

「さて……」

 ヒューランの言葉を合図に、3人の女性が窓の向こうを除き見る。ごくり、と唾を飲み込む音が聞こえてきそうだ。

「ホントだ……」

「フランてば……意外と大胆……」

「男っ気ないと思ってたら……こういうことだったのね」

 窓に張り付いて中を覗き見る様子は、男性陣のそれとなんら変わらなかった。3人とも僅かに頬を紅潮させて、目の前の光景を見た思いを言葉にしている。

「あんなにくっついて寝て、暑くないのかしら……」

「それにしても、すごいシーツの乱れ方……」

「まあ……ミコッテ同士って激しいらしいし……私知らないけど」

「……」

「……」

 そうして、しばらく窓の中の様子を覗き見、感想を述べ合った後。3人は、誰からともなく窓辺から離れた。誰かが、はぁ、とため息をついたのが聞こえた。

「あーあ、バカバカしい」

 アイシャはそう言って、箒を持って家の裏手に消えていった。3人とも、顔は火照っていたし、にやけた表情が未だ顔にこびりついていた。

「はー、寝よ寝よ」

 ヒューランもそう言って、あくびをしながら家の中へ入っていった。バタン、と玄関のドアが閉まる。そして残されたミコッテにも、そのあくびが伝染する。

「ふわ…ぁ……」

 彼女はもう一度、カーテンの中を覗いた。気持ちよさそうに眠る2人のミコッテは、当分目を覚ましそうになかった。

「……まったく。相談料、忘れないでよね」

 そして、彼女自身にしか聞こえないほど小さな声で、そう言った。

 窓ガラスの向こう、窓辺に置かれたテーブルの上には、飲みかけのハーブティーのグラスが二つ。そして、揃えて置かれた、桜の花の耳飾りが二組。その花びらが、朝日を浴びてキラリと光を反射した。

 彼女はそれを見て、楽しそうな笑みを浮かべる。

「ほわ…ぁ……」

 そしてもう一度あくびをしてから、軽やかなステップで家の中に入っていった。

――おわり――




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